宝厳寺
一遍上人について色々お話をいただきました(^ ^)
時宗開祖の一遍上人は、伊予国(現在の愛媛県)道後に、地元の豪族・河野通広の子として生まれました。
一遍上人は、出家し、愛媛の窪寺で約三年にわたる修行を重ね、阿弥陀仏のさとりと衆生の救済とは同時のものであり、
これを可能にするのは「南無阿弥陀佛」の名号であることをさとりました。
そして近くの岩屋寺にこもり、さらに念仏修行の日々を送りました。
それから、伊予を離れた一遍上人は、天王寺、高野山と歴訪をつづけながら、
一般の人々に念仏を説きすすめてまわったそうです。
以後、一遍上人は過度の衣・食・住、郷里、家族などすべてを捨てて、遊行生活を送ることになります。
「捨聖(すてひじり)」また「遊行上人」と呼ばれた由縁です。
一遍上人は独自の実践で、小さな紙片に「南無阿弥陀佛決定往生六十万人」と記した札を配り歩く
“賦算(ふさん)”というものを続けました。
やがて、四国・九州・瀬戸内・京都・信濃と遊行して歩き、そうしているうちに一遍上人を慕う人々が
あとにぞろぞろと続くようになりました。この人たちを“時衆(じしゅう)”と呼んでいました。
“賦算”に“踊り念仏”がプラスされて、一遍上人独自の布教スタイルが完成され、人気も高まったということです。
今年、落成した宝厳寺。庭にあるイチョウの大木です。
火事でイチョウの木の半分はなくなりましたが、宝厳寺の山門は、この二本のイチョウの木に火事から守られました。
今年葉をたくさんつけ綺麗に色づき元のような姿になりました(^ ^)